Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

★重要なお知らせ★

このブログは引っ越をしました。
このページは2016年7月より更新を停止しています。 新しいアドレスは、http://japantg.com/wp です。


旧ブログを含む過去の全ての記事も、
新しいアドレス http://japantg.com/wp に移動しています。

ぜひ、新しいアドレスにお越しください。
こちらよりかなり見やすく、お探しの記事も検索しやすくなっています。


550.gif

2011年10月02日

2011 ボルネオ/ブルネイ18 サンダカン・戦争記念公園

 
アジア各地に戦争の傷跡は残るが、ここサンダカンにも有名なエピソードがある。「サンダカン死の行進」だ。それがどういうものであったかは、日本語版Wikipediaに良くまとまっているので、引用してみよう。

「サンダカン死の行進(サンダカンしのこうしん)は、1945年、太平洋戦争(大東亜戦争)中に大日本帝国が設置したマレーシア・サンダカン捕虜収容所における日本軍によるオーストラリア・イギリス軍兵士捕虜に対する死の行進である。これに伴い1000人以上の捕虜が、ラバウル豪軍総司令部軍法会議の豪側検事によれば、7人を除き全員死亡したとされる。日本兵もこの移動により数百名が死亡した。」

「1942年、ボルネオ島東北に、空港建設を進める為にボルネオ捕虜収容所の分所として設置されたサンダカン捕虜収容所(所長:星島進大尉)には、1943年秋の時点で、オーストラリア兵1800人、イギリス兵700人、計約2000人が収容されていた。彼らは飛行場建設に使役されていたが、ライオネル・マシューズ中尉が地元住民と協力してオーストラリア軍の上陸に備えていた「サンダカン事件」の発生や日本軍の戦局の悪化による厳罰化、南方軍司令部からの命令による食糧の配給の削減(当初一人一日550〜700gの米と400〜600gの野菜が支給されていたが、1945年1月には米200〜300gに削減。しかし実際には米100gとわずかな野菜しか支給されなかったという)、医薬品不足などにより待遇は悪化。飛行場建設等の過酷な使役に加え、伝染病、栄養失調が蔓延。病死により1944年末には既に計1600人になっていたとされる。
連合軍のボルネオ島への空襲が相次ぐようになり、1945年1月に日本軍は空港の修復を断念。アメリカ軍がボルネオ島西海岸に上陸する判断した日本軍は、日本軍部隊を600km離れたアピに移動させ、それと共に捕虜をボルネオ島西、260km離れたラナウに移動させる事を決定したが、特にサンダカンからラナウまでの道のりは、連合軍の空爆を避けるために密林や湿地などの険しい道のりであった。」

(日本語版wikipedia 「サンダカン死の行進」より引用)

「死の行進」は英語の "Death March" を日本語に訳したものだ。同じくwikipedaのこの項目によると、「戦時に苛烈な状況で行われる、健康や生命をかえりみない行進、行軍のこと。これに参加するのは多くの場合囚人や捕虜であり、しばしば多数の死者を出す」と定義されている。そして「サンダカン死の行進」の出発地となったのがサンダカン捕虜収容所であり、今では戦争記念公園になっている。戦争記念公園は空港の南西、直線距離で1.5km程の場所にある。


より大きな地図で サンダカン を表示

もちろん市内からのミニバス(ワゴン車)もあるが、どれに乗れば良いのかがなかなか分からない。そこでセピロック・オランウータンサンクチュアリからの帰路、車掌に地図を見せ「WAR MEMORIAL PARK の近くに着いたら下ろしてくれる?]と頼む作戦に出た。地図を見る限り、ダウンタウンからセピロックまでのバスは、Jalan Labuk と Jalan Lintas Labuk の交差点(ラウンドアバウトだけど)近くを通るはずなのだ。Google Mapの地図には道は描かれていないが、航空写真で見ると住宅や公園を通る道があることがわかる。戦争記念公園までは Jalan Labuk から600m程度のようだ。車掌はバスを停め「この道をまっすぐ行けば公園だからね」と教えてくれた。ありがたいなぁ、である。


より大きな地図で サンダカン を表示



戦争記念公園までは歩いて10分もかからなかった。

sandakan_war_,memorial_park_01.gif

公園の入り口には、ここが「サンダカン死の行進」の出発点であったことを示すモニュメントが建っ…

more.png この記事の全文を読む 

2011年10月21日

2011 ボルネオ/ブルネイ19 サンダカンからコタキナバルに戻り、キナバル山などを眺めに行った件

 
日本人墓地と戦争記念公園とオランウータンを見たら、サンダカンでしたいことがなくなってしまった。

タートルアイランドには若干の未練はあるが、基本的に私は、ジャングルリバークルーズなどの自然満喫系アトラクションにあまり興味がない。どちらかというと社会科見学の方が好きなのだ。まぁ街自体にはそれなりの風情はあるが、いかんせん規模が小さい。という訳で今回のベースキャンプであるコタキナバルに戻る。

sandakan_airport_01.gif


地味な空港だが、エアアジアのkioskシステムはちゃんと整っている。何しろここは通常のカウンターでチェックインすると、今や10リンギット(約250円)の手数料がかかるのだから、端末を置かないわけにはいかない。日本に比べればはるかに低いマレーシアの人件費だが、エアアジアはそれすら削減したいんだなぁ、だ。やっぱり成功したLCCは心構えが違う。

sandakan_airport_04.gif


というわけでマサダ・バックパッカー。そう長くもない旅行なのにもう3回目のチェックインだ。「ただいま」気分でまずはコーヒーをいただく。ここのコーヒーメーカーは毎回豆を挽くタイプでなかなかおいしい。もちろん無料だ。

sandakan_airport_06.gif


あと少しでボルネオともお別れだが、ここで、「そういえば俺キナバル山見てなかったじゃん」ということに気がついた。。

キナバル山は東南アジアの最高峰で標高は4095m。ボルネオ観光といえば真っ先にその名が出てくる場所だ。標高は富士山より高いが登るのは富士山より楽、らしい。わざわざ混雑する山小屋を予約してまで登りたいとは思わないが、せっかくのボルネオ、一目くらいは見ておいても良いかもしれない、などと思い始める。

マサダバックパッカーのスタッフに、ツアーの価格表を見せてもらうと、キナバル公園とポーリン温泉の1日ツアーが190リンギット…more.png この記事の全文を読む 

2011年10月23日

2011 ボルネオ/ブルネイ20 ボタニカルガーデンでウツボカズラを見て、30リンギット支払ってラフレシアを見て、キャノピーウォークを渡って、ポーリン温泉に入った件


正直私は、キナバル山をチラ見すれはそれで満足だった。

だいたい山なんてもんは登ってなんぼだ。下から眺めてもそれなりに美しいと言えば美しいが、ずーっと見ていれば当然飽きる。もっと言えば頂上まで登っても1〜2日いれば飽きる。「一応キナバル山でも見ておくか」程度の気持ちだった私にとって、朝9時台に目的を果たしてしまい、これから夕方まで続くツアーはおまけみたいなものだ。

おまけツアーは、次に私たちをボタニカルガーデンへ連行した。

mount_kinabaru_tour_02.gif



正直ついでに書いてしまうと、私は植物に愛着がない。

世間一般で言われる「きれいな花」を見ても特に感銘を受けないのだ。だから何かの機会で花をいただくと大変に困惑する。好意の顕れだと思えばうれしいことはうれしいのだが、できれば他のものにしてくれないななぁ、とすら思う。以前何かの時「これ、花臭い」と言ったら、周囲にいた知人たちに「それは良い匂いっていうの!」と大変に叱られたものだ。そんな私がボタニカルガーデンに連行されて、楽しめるとは思えない。

ボタニカルガーデンにはガイドが同行し、植物についていろいろ説明をしてくれる。世界で一番小さな蘭とか、踊り子の形の蘭だとか、まぁいろんな話があったのだが、多少なりとも関心が持てたものは多くはなかった。


ウツボカズラ。

mount_kinabaru_tour_02.gif

mount_kinabaru_tour_03.gif

mount_kinabaru_tour_04.gif


このあたりには様々な種類のウツボカズラがある。植物の癖に虫を捕まえて喰おうというガッツが大変よろしい。ウツボカズラが好きで好きでたまらないという人は、キナバル公園のボタニカルガーデンに来る価値はある。そんな人がどれだけいるのかは疑問だが。




ウコギ科、"Schefflera SP"。和名は謎。

mount_kinabaru_tour_06.gif

別にどうってことはない木と葉っぱなのだが、実はこれ避妊薬になるらしい。ガイドによると、「未婚の女性は絶対にこの葉を口にしてはいけない。将来妊娠できなくなる可能性があるからだ。そしてこどもが産まれた後には、この葉はファミリープランのために活用される。」のだそうだ。こういう植物があることを、私は知らな…
more.png この記事の全文を読む 

プライオリティ・パスに無料登録可能!楽天プレミアムカード